2006年12月09日

Letters from Iwo jima

フジテレビの『硫黄島〜戦場の郵便配達〜』を見る。

61年前、激戦の果てに2万人以上の戦没者を出した硫黄島と本土のあいだで手紙を送り届けたパイロット根本少尉と、かつて彼の教官だった市丸少将、そして硫黄島に散ったすべての兵士の物語。

物資もなく、栄養失調で痩せさばらえた兵士たちの唯一の心の支えは本土にいる家族からの手紙だった。食べるものよりなによりも、家族からの手紙を楽しみに待ちわびた兵士たち。本土の家族たちも夫や息子たちからの手紙を待ちわびた。

ドラマの合間に、何度か実際の遺族の方たちの映像が流れた。みな、硫黄島からの手紙を大切に保管し、いまでもありがたく読み返しているという。愛する家族が戦死したのちも、彼らからの手紙を心のよりどころとして暮らしてきた。

70代の方が多かったけれど、皆さん、とても若々しくお元気な様子に驚いた。愛する家族を戦争で失い、これまで生きてくるあいだには、どれほどのご苦労があったことか、はかりしれない。

その苦しみや悲しみを乗り越え、尊い命を散らさなくてはならなかった家族の分まで力強く誇り高く生きていらっしゃるご様子が伝わってきて、そのことにわたしは胸を打たれた。

「父は大元気。だから心配しないように」。妻や娘たちを安心させようという市丸少将の手紙も切ない。どの兵士も、明日をも知らない命なのに、自分は元気だから心配するなと文にしたため、置いてきた家族のことをひたすら案じていた。

そして硫黄島から届けられた、その手紙が残された家族たちの生きる力になる。

兵士たちは力尽きて硫黄島に倒れたけれど、その魂がこめられた手紙は翼に運ばれて、永遠の命を得たのだった。

多くの遺族たちはいまでも毎年、亡き夫や父親に会いに硫黄島へと向かう。

生き残った根本少尉は戦争が終わったのちも硫黄島とともに生きたという。


posted by Ayumi at 23:49| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。。。

この事実を次代に伝えていかないといけませんね。
今が平和であることのありがたさを感じ、日々生きていかないといけませんね。
そう感じた番組でした。
Posted by 周旋屋のをとっつあん。 at 2006年12月10日 17:05
周旋屋のをとっつあん。さん、はじめまして。
コメントをどうもありがとうございます。

今日は映画の方の『硫黄島からの手紙』を観てきました。二日続けての硫黄島はちょっとヘビーでしたが……。観ていてやっぱり切なくなりました。
本当に、いまの平和な世の中をありがたく思い、無念にも亡くなった方々の分までしっかりと生きていこうと再び深く感じさせられました。
Posted by あゆまる at 2006年12月11日 00:32
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硫黄島 戦場の最後の手紙
Excerpt: 今日は、師走というのに、20時半ごろから、家に戻っており、ゆっくりっとした時間が流れています。(^O^) 家で久々にご飯を取り、久々にテレビを見た。(^O^) なんか、こんなことを書くと人..
Weblog: 周旋屋のをとっつぁんの気ままな日記。
Tracked: 2006-12-10 17:06
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